共産主義者の父を持つということ
我が家の父は共産主義者だ。
いつか平等な世界が来ると信じながらテレビで自民党の人間が出ると汚い言葉を連ねる。
それだけを心の支えにしながら60年以上も生きていた父だ。
私は父をあまり好きではない。
しかし捨ておけるほど嫌いではなく、うまい距離を探すようにしながら私は幼少期を育った。
共産主義者の父は、とても粗暴である。
楽しみは酒を飲むことだけで、膵臓を壊して何度か入院している。
収入はいわゆるワーキングプアと呼ばれる層である。
論理的にモノを考えることができず、弱い者いじめを好む傾向がある。
特に好き嫌いでモノを語ることが多く、当然ながら人の上に立つような人間ではない。
自分が嫌いなものは悪で、自分が好むものは善。
共産主義者の父の物差しは、結局のところそんなところだったように思える。
彼は息子の私に対しても、よく上下関係をハッキリさせようとする傾向があった。
平等を善しとする共産主義を掲げながら、親子関係においては儒教的な価値観が根強く、要するに自分の好きなものだけを選ぶために矛盾を多く抱えている。
ここでひとつ、愚痴のようなものを言わせてもらえるなら、私の厭世的な性格はこの共産主義の父が形成していたように思える。
というのも、この父のような理不尽な人間が世間に多く存在しているならば、とてもじゃないが生きていける自信がなかったのだ。
好みですべてを判断し、都合のいい解釈をし、自分のために平等を掲げ、自分のために上下関係を主張する。
こんな人間と社会を形成する自信がなかったのである。
だが、私は成長するにしたがってこの考えが間違っていたことを理解する。
世間には共産主義者の父のような理不尽だらけの人間はほとんどいない。
いるにはいる。だがそれほど多くはない。
私がそれに気づいたとき、初めて社会との関係をイメージすることができた。
そして同時に、共産主義者の父が社会から取り残されてきたことにも気づいた。
この時点で、私にはいくつかの選択肢があったのだろう。
そんな父を捨てるか、あるいは捨てずになんとか付き合っていくか。
今は、なんとか付き合っている。
自民党が大勝した選挙のときはテレビを付けないように気を配り、酒を飲んで暴れるときは下手に逆なでしないようにうまくあしらう。
それを繰り返すしかない。
そうして、いつか世界が共産主義の光に包まれることを夢見ながら死ぬのなら、それも彼のひとつの人生なのだろうと思いたい。
私は、父を哀れと思う。それがとても悲しい。